2014年発行 古市憲寿「だから日本はズレている」を読んで備忘録として関心した部分を抜粋する。
誰も欲しがっていない新製品
電気屋に行くといつも絶望的な気持ちになるのだが、日本メーカーの冷蔵庫や洗濯機は本当にどれも同じような、もっさりとしたデザイン。それは家電メーカーがこぞって「おじさんの会社」だからだと思うが、「おじさん」以外の意見にも耳を傾けるような仕組みを構築できないのだろうか。
「ものづくりの国」は終わったのか
日本軍の失敗を組織論的に分析した『失敗の本質』(中公文庫)研究の指摘は、驚くほどに今の家電メーカーにも当てはまる。グランドデザインがなくて場当たり的。環境に適応しすぎてガラパゴス化してしまう。現場の気づきが中枢に届かない、学習しない組織。このような組織は短期決戦には向くが、長期戦になればなるほど不利になっていくという。
確かに戦後の日本は「ものづくり」で発展してきた。しかし日本が「ものづくりの国」であり得たのは、冷戦のおかげだったとも言える。
東側陣営の中国は世界市場には参入していなかった。韓国や東南アジア諸国は親米独裁政権だったため政情も不安定で教育水準も低かった。そんな中、アメリカなど一歩先行く先進国で衰退した製造業を、肩代わりする国として日本は躍進できたのだ。
「正しさ」ではなく「もっともらしさ」が勝つ
日常を支配するのは、「論理的に正しい」とは「根拠から考えて正しい」といった「正しさ」ではなくて、「よくわかんないけど、そうなんじゃないの」という「もっともらしさ」である。
「仕事ができる」「できない」の基準
「仕事ができる」「できない」というのは、何かの指標に基づいての評価でしかあり得ないということだ。多くの指標において高いパフォーマンスを出す「社会人」もいるだろうが(もちろん逆もいる)、基本的に人は自分が見えている範囲の、自分が知っているものさしで、誰かのことを「仕事ができる」「できない」と判断しているに過ぎない。
「若者に活躍して欲しい」と言うけれど
大企業の経営陣に若者がいない。意思決定機関にいるのは決まって「おじさん」か「おじいさん」。
若いというだけで人を優秀だと判断するのは間違いだ。しかし、同じ理由で、年齢を重ねているというだけで人を判断するのも危険だろう。
やっぱり「学歴」は大切だ
学校に行って、勉強ができる子ほど、給料が高い職業に就くことができるからだ。
たとえば1984年には帝国大学を卒業して高騰カン十級になった人は67円の月給を手にすることができたが、これは農民の1年分以上の所得、小学校教師の月給の7倍に相当した。
「学問」が人の上に人を造る
福沢諭吉の『学問のすすめ』には有名な「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」というフレーズがある。しかし、そのすぐ後に続く文章を知っているだろうか。「されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。その次第甚だ明らかなり。実語教に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり」
明治からの近代社会では、生まれた場所や身分ではなくて、どんな「学問」を治めるかによって貧富の差が決まっていく、ということを言っている。『学問のすすめ』はただの平等主義を説く書籍ではなかったのだ。「天」は人の上下を造らないけど、「学問」が人の上に人を、人の下に人を造るらしい。
「おじさん」の罪
「おじさん」とは、いくつかの幸運が重なり、既得権益に仲間入りすることができ、その恩恵を疑うことなく毎日を過ごしている人のことである。
「おじさん」とは、自分たちの価値観を疑わない人たちなのである。
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